フェアトレードが始まったのは第二次世界大戦が終わってすぐあとの1947年でした。アメリカの国際協力NGOでボランティアをしていた女性が、プエトリコの女性たちが作っていた手工芸品を買い取ってバザーなどで販売したのが始まりと言われています。その後ヨーロッパのNGOも同様の活動を始めましたが、その当時は、かわいそうな人たちを何とか助けてあげよう、少しでも楽な生活が送れるようにしてあげようという主旨だったことから「慈善貿易」とも呼ばれています。

それが変わり始めたのが1960年代に入ってからです。目先の生活を楽にするだけでなく、途上国の人たちが貧困から抜け出して自立できるよう、しっかりとした仕組み作りが始まり、「開発貿易」へと変わっていきました。それにともなって、フェアトレードを専門とする団体や、フェアトレード製品を専門に売るフェアトレード・ショップが生まれました。また、この頃は、フェアトレードではなく「オルタナティブ・トレード」という言葉が使われていました。それには、人々を苦しめてきた今までの貿易に代わる、別の貿易の仕組みを作ろうという意味が込められていました。

途上国の零細な生産者に寄り添って、その自立を支援するという「オルタナティブ・トレード」が、一般的に人々がフェアトレードについて持つイメージでしょう。オルタナティブ・トレードは今でも健在ですが、1980年代に入って大きな変化が現れました。その元になったのは「市場の停滞」でした。それまで順調に拡大を続けてきた市場が80年代に入って大きな壁にぶつかったのです。

その大きな原因は「品質」にありました。フェアトレードの良き理解者であり、支持者である「倫理的消費者」と呼ばれる人たちは、途上国の生産者を助けたいという気持ちが強く、品質にはあまりこだわりませんでした。ただ、そうした人たちは消費者全体の数%に過ぎず、その層にフェアトレードが行き渡ってしまうとニッチな市場は飽和状態となり、それ以上広がらなくなってしまったのです。

より多くの生産者の期待に応えられるよう、市場を広げるにはどうしたらよいか。それには、倫理的消費者だけでなく一般の消費者にも買ってもらえるよう、製品の品質を高めなければなりません。こうして、一般の消費者、一般の市場をターゲットにした、より市場志向性の強い企業的な取り組みが盛んになります。それが、「オルタナティブ・トレード」から「フェアトレード」へと呼び名が変わった背景です。「別の」貿易ないし市場を作り出すのではなく、一般の取引や市場の中で広めていこうという動きが強まったのです。